

老朽化のため閉館するというので閉館する前に見ておこうと思い、神田にあった「交通博物館」に2006年に行ってきました。 閉館後、「交通博物館」の鉄道関係の展示品・収蔵品は「鉄道博物館」(埼玉県)に移管されましたが、鉄道関係以外の展示品は「鉄道博物館」では見られないと思います。思いますというのは、大人気の「鉄道博物館」ですが、わたしは鉄道ファンではないのでまだ行ったことがないため、“思います”です。(でもネットで「鉄道博物館」の展示品を調べてみましたが、やはり鉄道関係以外の展示は無いようです。) したがいまして今回ご紹介する「交通博物館」の展示品(鉄道関係以外)の画像は今ではなかなか見られないものであり、少しは貴重なものではないかと思われます。 |

マツダのオート三輪「T2000」です。 昔(昭和30年代?)は街中をあたりまえのように走っていたようです。 (“昭和”を感じることができる乗り物です。) 全長6.08m、全幅1.84m、荷台長4.08m、エンジンは水冷直列4気筒1985ccでオート三輪では最速の時速100kmを出すことも可能でした。 |

太平洋戦争中に日本の中島飛行機(現在のSUBARU)が開発した航空機用のエンジンです。(空冷星型複列18気筒、排気量35.8L、離昇出力2000馬力、2速スーパーチャージャー付、乾燥重量830kg) 高度な技術で製造されたエンジンで、軽量小型でありながら高出力を発揮し、当時の欧米の空冷型エンジンよりも優れていました。(ただし設計的には無理をしているところもあり、製造や整備が難しく量産品ではエンジン不調が多かったそうです。) |

交通博物館の屋外(エントランス前)にはD51形蒸気機関車(通称デゴイチ)が展示されていました。(前頭部と運転台のみ) D51は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計・製造した蒸気機関車であり、主に貨物輸送のために用いられました。1935年から1945年にかけて1115両ものD51が生産されており、この数は、日本の機関車の一形式として最も多いものだそうです。 (ちなみにD51の先頭の「D」の文字は機関車の駆動輪の軸数を表していて、D51の「D」の場合、ABC順で4番目なので駆動輪は4軸ということになります。この4軸の駆動輪で車両を牽引し、D51は最高運転速度85km/hで走っていました。) この交通博物館に展示されていたD51は埼玉県の鉄道博物館に移設され、現在は運転台部分が運転シミュレータとして利用されているようです。 |


交通博物館の屋外(エントランス前)にはD51形蒸気機関車と並んで「0(ゼロ)系」新幹線も展示されていました。(先頭部分のみ) 0系新幹線は1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線の初代車両であり、当時世界最速となる時速210キロの営業運転を達成しています。 (なお、新幹線の試作車両の実験では東海道新幹線開業前の1963年に最高時速256キロを記録しています。) 時速200キロを超える高速運転を可能とするための空気抵抗や振動の対策、高速度でも安全な運行を確保する「自動列車制御装置」(ATC:Automatic Train Control)の実現など、新幹線を支えた様々な技術の開発には旧日本軍の優れた技術者たちも携わっていました。 これについての話はNHKのテレビ番組「プロジェクトX」の「執念が生んだ新幹線」で過去に紹介されています。 0系新幹線は、1964年から1986年にかけて合計3216両が製造され、2008年11月まで運用されました。運用終了後の2008年12月14日には特別に「さよなら運転」が執り行われ、0系新幹線はこの日をもって引退となりました。 |

|
|
|
|
|
|
上の写真は、ターボプロップエンジン、戦時中に日本で製造された航空機用の高度計、ハ-45エンジンの潤滑油系統図、コクピットの内部です。 これらの写真以外には、船舶の模型、昔のオートバイ、昔の自転車などもありましたが、やはり鉄道関係の展示が多く、実物の蒸気機関車、鉄道模型パノラマ運転場、運転シミュレータ、駅名看板や車両看板などが展示されていました。 |

|
交通博物館の跡地には現在「JR神田万世橋ビル」が建っています。
そのビルの敷地の一角に交通博物館の写真が飾られていて、
かつてこの地に交通博物館が確かに存在していたことを静かに物語っています。 |

| ▲往時の面影を残す写真展示 |
|
|
|
|
|
|
| ▲交通博物館の在った「JR神田万世橋ビル」の場所 |

