
| 横須賀にある記念艦「三笠」を見に行きました。(2006年) 三笠は、明治時代に日本がイギリスのビッカース社に発注して建造された戦艦です。明治35年(1902年)に就役し、日露戦争の日本海海戦(1905年)においては連合艦隊司令長官東郷平八郎が乗艦する連合艦隊の旗艦としてロシアのバルチック艦隊と闘いました。 ちなみに先頃(※2009年11月)、明治期の日本の姿を描いた大河ドラマ「坂の上の雲」(原作:司馬遼太郎)がNHKで始まりましたが、東郷平八郎司令長官を渡哲也が、そして主役の一人である秋山真之(さねゆき)を本木雅弘が演じています。 秋山真之は日露戦争では東郷平八郎長官の下で作戦担当参謀となり、ロシアのバルチック艦隊迎撃作戦を立案し、対馬沖での日本海海戦の勝利に大きく貢献しました。東郷平八郎は、秋山真之を「智謀湧くが如し」と評し、真之の上官たちも真之の頭脳の明晰さには驚嘆し、ほとんどの作戦を真之に一任していたといいます。 三笠は大正12年(1923年)には現役を退き、その後大正15年に現在の横須賀の地に記念艦として保存されて現在に至っています。 |
| 船体を全体的に撮影したものです。 全長が132mもあるのでさすがに大きいです。乗組員は860名だったそうです。 (その他、全幅は最大23m、排水量は15,140トンありました。) |
| 艦橋付近から前方を撮影。 主砲は40口径の30cm砲で太平洋戦争中の戦艦に比べれば小さいとはいえ、間近で見ると巨大そのものです。(ただし実物ではなくコンクリートによる復元です。) この30センチ砲のほかに、15センチ砲が14門、8センチ砲が20門、三笠に装備されていました。 |
| 三笠の通風筒(赤)と煙突です。 三笠は明治時代の戦艦ですのでエンジンは石炭を燃料とする蒸気エンジンです。 (三笠のエンジンの軸馬力は15,000馬力で最大速力は18ノットでした。) |
| 三笠の艦橋で撮影した写真です。 日本海海戦のときには、東郷平八郎司令長官、加藤友三郎参謀長、伊地知彦次郎艦長、秋山真之参謀などが此の艦橋でロシアバルチック艦隊と対峙していました。(現在の三笠の艦橋には日本海海戦のときの様子を描いたレリーフなどが展示されています。) |
| 三笠艦内の無線電信室には「三六式無線電信機」(復元)が展示されています。 三六式無線電信機は海軍技師の木村駿吉(しゅんきち)が中心となって開発された優れた性能をもつ無線機であり、1903年(明治36年)に日本海軍に採用されました。公称通信距離は80海里(約150km)でこれを超える距離では更に無線機を中継して通信距離を伸ばしていました。 (日本海海戦におけるバルチック艦隊発見の第一報も仮装巡洋艦「信濃丸」からの電文が戦艦「厳島」を経由して連合艦隊の旗艦「三笠」に届きました。) 三六式無線電信機は採用後直ちに戦艦や巡洋艦など大型の艦艇に順次搭載され、日本海海戦までに仮装巡洋艦も含む駆逐艦以上の全艦艇に装備されました。 これにより日本海軍の艦隊は当時世界トップレベルの通信能力を持つことになり、迅速な情報の収集・発信、円滑な艦隊運用が可能となりました。 日本海海戦においては仮装巡洋艦「信濃丸」によるバルチック艦隊発見の第一報や、巡洋艦「和泉」による偵察報告(敵の位置、隻数、艦種、進路、速力など)などで三六式無線電信機は大いに活躍し、日露両艦隊が相まみえる戦闘の前に多くの有益な情報を連合艦隊にもたらしました。こういった事前の情報収集が日本を勝利に導く要因の一つとなったとも言えるでしょう。このように日本海海戦は、まさに「電波」というエレクトロニクス技術が活用された初めての海戦でもありました。 三六式無線電信機は当時世界最高レベルの性能を誇った無線機であり、国際的に見ても日本の科学技術発展の独自性を示すものでありました。その功績を称え、三笠の無線電信室に展示されている三六式無線電信機は2017年9月5日に国立科学博物館の定めた重要科学技術史資料(通称「未来技術遺産」) の第00228号に登録されています。 |
| 三笠で撮影した様々な写真を動画形式でも御覧ください。 |
| ●所在地 | 〒238-0003 神奈川県横須賀市稲岡町82-1(三笠公園) |
| ●交通機関 | 京浜急行:京浜急行横須賀中央駅徒歩15分 JR :JR横須賀駅より京急バス、またはタクシー |

